歴史

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(3)歴史

古くから、飛騨国一之宮として名高い神社です。始まりは神代より古くからあると伝えられていますが、詳しいことは分かっていません。
 史上にあらわれるのは平安初期、貞観九年(867年)神位を授けられた記事にはじまります。中世、鎌倉時代には神社の領地は付近18 ケ村もあり、社家12人と栄えた神社でしたが、戦乱にかかわってすたれていきました。
 江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代と治める人が変わっても、神社は変わらず大切にされ、また、一般の人々の厚い信仰にささえられ、明治4年5月14日、太政官布告によって国幣小社となりました。昭和10年より国費で10年かけて造営がなされ、今日の社殿が完成しました。これが、今私たちが見る水無神社の社殿です。
 昭和21年2月その制度が廃止されてからは神社本庁(全国の神社の組織)に所属し現在におよんでいます。

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※神代(かみよ): 日本書紀や古事記に書かれている、神様が活躍した時代。
※社家(しゃけ):神社に代々仕え、神主を出す家。
※代官、郡代(だいかん、ぐんだい):幕府から派遣された役人のこと。
※太政官布告(だじょうかんふこく):明治政府の命令。
※太政官:明治時代の国政を総括する最高機関。今日の内閣にあたります。
※国幣小社(こくへいしょうしゃ): 国費から資金援助を受けられる位の高い神社。この他に、四つの位があります。この四つの位に入ることができるのは、日本にたくさんある神社の中でも限られており、国が責任を持って神様をお祭りするという、立派な神社であることの証明です。
社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもありますが、水主の意味です。
 この神社の南西に位置する位山は、南に流れる水は飛騨川となり太平洋へ、北に流れる水は神通川となって日本海へと流れる分水嶺で、古代から川の水源である位山を水主の神の坐す霊山と仰ぎ、御神体山として奥宮が祭られています。
 水無神社は飛騨人の心のよりどころとして、今に残る様々な歴史遺産を語り継いでいます。

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